Q41 念力には、想像を超えた強力なパワーがある?


「念力岩(いわ)を通とおす」ということわざがありますが、一般には念力といえば、心をひとつに集中して願うことによって、他者に対して特別な力を発揮することを指しています。

ひと頃、いかがわしい念写(ねんしゃ)やスプーン曲げが話題になりましたが、心という精神作用がそのまま物質に影響を与える現象は、現代の物質偏重(へんちょう)主義の一部の人々に、少なからずショックを与えたのかも知れません。

しかし念力自体は心のはたらきですから普通の人間でも多少はもっているものです。だからといって実際に現象を起こせる人がこの世にどれほどいるかといえば、はなはだ疑問です。

こうした超能力ともいうべき念力を用いた話は古くからあり、たとえば山岳宗教の修験者(しゅげんじゃ)が念力によって何百メートルも先のローソクの火を消したりして、霊験(れいげん)あらたかのように人々を思い込こませる手段にしたこともありました。

しかしよく考えてみれば、このような特殊な、見せ物まがいの念力は、私たちの生活によい影響を与えることはなく、何ら必要としないものです。

では仏教では念力についてどのように説いているでしょうか。
維摩経(ゆいまきょう)などには成仏を目指めざす修行の障害を対治する力として五力が説かれています。五力とは信力(しんりき)・精進力(しょうじんりき)・念力(ねんりき)・定力(じょうりき)・慧力(えりき)をいい、この中の念力とは、憶念(おくねん)の力ということです。簡単にいえば、仏の教えや本尊・修行などをしっかり心に記憶して忘れないという働きのことです。

また仏典には、
 「若し念力堅強(けんきょう)なれば五欲の賊中(ぞくちゅう)に入いると雖(いえど)も害せられるところなし」(遺教経いきょうぎょう)
とあり、仏法僧(ぶっぽうそう)を念ずる力によって、いかなる魔縁(まえん)にあっても紛動(ふんどう)されることなく、仏道を成ずることができると説かれているのです。

正しい仏法によって真の幸福を目指す私たちは、迷いの人間による表面的な念力などに惑(まど)わされることなく、御本仏日蓮大聖人の教えを心にしっかり持(たも)ち、御本尊に日々唱題することが真実の念力であることを知るべきです。