Q31 思考力がマヒし、自身の考えが無くなるのが心配?


宗教を信仰すると、他をかえりみず、その宗教に熱中するあまり冷静な思考力や判断力がマヒして、自分なりの考えが持てなくなると心配する方がいます。たしかに、なんの教義もない低級な新興宗教をはじめとして、宗教のほとんどは、忘我(ぼうが)の境地や、あきらめることだけを教え、人間の思考能力をマヒさせています。ここに邪(よこしま)な宗教の恐ろしさがあるのです。

しかし、正しい因果(いんが)の道理を説く仏教、中でも法華経の教えにおいては、〝(もん)(し)(しゅう)の三慧(さんね)〟といって、仏道を成就するためには正法をよく聞き、思惟(しゆい)し、修行しなければならないと説いています。
これに従うならば、宗教、つまり法華経の教えは、思考をマヒさせるどことか、正しい意見や考えをよく聞き、深く考えをめぐらし、目標に向け努力する人になるといえます。

日蓮大聖人は、
「行学(ぎょうがく)の二道をはげみ候べし。行学た絶へなば仏法はあるべからず」(諸法実相抄・御書668頁)
と教示されるように、正しい教えにしたがい、修行と研学(けんがく)によって仏法の精神を求めることの大切さを説かれています。

また法華経を持(たも)つ者の功徳(くどく)の姿を示して、
 「日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は明鏡(めいきょう)に万像(ばんぞう)を浮かぶるが如ごとく知見するなり。此の明鏡とは法華経なり(御義口伝・御書1776頁)
と説かれています。
すなわち正しい仏法を信ずることによって、生命の本源が活動し、物ごとを正しく知見できるというのです。
反対に間違った宗教を信ずる者や正しい仏法を持たない者は迷える心、煩悩(ぼんのう)の生命から物を見、考えているために、すべてを正しく見ることができないのです。まさに本心を失っている人といえるでしょう。

これについて、大聖人は、
 「本心と云ふは法華経の信心の事なり。失(しつ)と申すは謗法(ほうぼう)の人にすかされて、法華経を捨(すつ)る心出来(しゅったい)するを云ふなり(御講聞書・御書1857頁)
とも説かれています。
ここでいう本心とは、世間的な迷いの凡智(ぼんち)ではなく、本仏本法によってもたらされる仏智(ぶっち)であり、人生においてもっとも大切な真実の幸福を確立する仏界の心を指しているのです。

ですから、真実の仏法とは、本心たる智慧の眼(まなこ)を開かせ、正しく人生を歩ませるための英知を、生命の根源から涌現(ゆげん)させるものであることを知るべきでしょう。