Q27 何といっても、幸福はお金が第一?


日々の暮らしの中で、衣・食・住の全般にわたってお金がたいへん重要な役割を果たしていることは云うまでもありません。物の価値はお金に換算できることはもちろん、人や機械の労力・能力そして命までが金銭で贖(あがな)われているからです。

そのため、お金がすべてに先行して価値あるもののように思い、幸福条件の第一に挙(あ)げる人は少なくありません。しかしどんなに貴重なお金であっても、所詮(しょせん)は人間社会によって産み出された〝物〟であり、生活上の手段のひとつにすぎません。言い換えれば、生きている人そのものが主体で、金銭は人間によって考え出された取引き上の約束ごとに過ぎないということです。

これを間違え、人間がお金に使われたり振回(ふりま)わされるところにとんでもない悲劇が起こるのです。たとえば、お金をケチケチと貯めて満足に食事もせず、結局ためたお金を使うことなく餓死した老人がいました。また遺産をめぐる親族間の争いが高じて殺人事件に発展した例、さらにはサラ金苦においつめられて殺人や強盗に走る例もあれば、一家心中の例などお金をめぐる悲惨な事件は毎日のように報道され、私たちが知るところです。
これはお金というものが、私たちの生活に大きな比重を占しめている証(あかし)でもありますし、生死にかかわるほど大きな影響力をもっている証拠でもありましょう。

と同時にこれらの事例から、同じお金であってもそれを使う人間によって幸にも不幸にもなることがわかります。つまり、お金は生活する上に必要なものですが、またお金によって不幸を招くこともあるということなのです。
ここに主体者である人間というものをしっかりと確立しなければ、お金も財産も正しく生かされないという道理を知るべきなのです。

日蓮大聖人は、
「蔵くらの財(たから)よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」(崇峻天皇御書・御書1173頁)
と仰せられています。
私たちにとって大切な財宝はいくつかありますが、お金などの蔵の財よりも、健康な身体が大切であり、それよりも大切な宝が人間の根本ともなる心の財なのです。

お金は、現代の幸福になる条件のひとつであることに違いはありませんが、それが幸福のすべてではありません。根本にある心の財を正しい信仰によって磨き、福徳に満ちみちた人になったとき、はじめて蔵の財(=お金)にも恵めぐまれ、それを正しく自在に使いこなしていくことができるのです。

せっかく貯めたお金や財産を不幸や悲劇の種にするか、幸福の種にするかは、その人の心と福徳によって決まるのです。
ですから、物心両面にわたる幸福な人生を築くためにも、まずは正しい仏法に帰依(きえ)し、信仰に励むことから出発しなければならないことを身をもって知るべきでしょう。