Q4 強要ではなく本人の意思で決めるものでは!


たしかに信仰は他人に強要すべきものではありません。また、他人に強要されてできるものでもありません。

しかし、本人の意思のよるべきと云っても、自身の狭い世界での考えに閉じこもっていたのでは、真の仏法を知ることもなく、人生本来の目的を悟ることもなく、正法の功徳を受けることできません。ただ無味乾燥な一生を虚(むな)しく送ることになるだけです。したがって、信仰は本人の意思ではなく、それが正しい教えか否か、正邪によって決めるべきではないでしょうか。

逆の立場から言えば、たとえば、私たちは病気の子供が苦いからといって薬を飲まない時、そのままにしておくでしょうか。無理をしてでもその子に薬を飲ませることでしょう。まさにこれと同じで、正邪のけじめを正しい仏の教導(きょうどう)にしたがって諭(さと)し示す大良薬を飲ませるべきでありましょう。

正邪のけじめを正すことを折伏(しゃくぶく)といいますが、日蓮正宗でいうところの折伏とは、人に信仰を強要することではなく、日蓮大聖人の教えの尊(とうと)さと、自(みず)から体得した信心の感動を、一人でも多くの人に語り伝え、喜びを分わかち与えたいと思う慈悲心(じひしん)の発露(はつろ)なのです。

真実の仏法を一人でも多くの人に伝えたいと思う慈悲の心が、折伏という行動として現われてくるのです。ですから、折伏は人に信仰を強要することではなく、人生の真理を伝え、喜びを共に分かちあいたいという大きな慈悲行なのです。