Q1 ともかく信仰に関するものは何でも嫌いです!


もし信仰が趣味や道楽、あるいは一種の友好活動にすぎないものならば、好きか、きらいかで判断され、きらいであれば、近づかなければよいわけです。
正しい宗教とは、苦悩に直面している人に対してはもちろん、特別悩みがないという方に対しても、正しい生命観・人生観に立脚した真の幸福を獲得する道が説かれているものです。
したがって、あなたが、信仰を単に好きやきらいの感情だけで決めることは、ご自分の人生の根本を趣向で決定することであり、賢明な方法とは申せません。

たとえば、人は誰でも、子供の頃は、善悪や他人の評価にとらわれず、好きか、きらいかという自分本位の感情で、笑ったり泣いたりします。やがて成長し、社会人になると、好き、きらいの感情に、理性による判断が加わり、物事の道理や善悪・利害などを考えて行動するようになります。

人間、誰しも好き、きらいの感情は生まれながらに持っており、どんな人でも好きになれない食物や飲物は必ずあるはずです。また〝医者ぎらい〟を自称する人も多数おります。しかし医者がきらいだという方でも、健康を損ねたり生命にかかわるケガをした時などは、ご自分の身体を守るために病院に行かれることでしょう。つまり、私たちの周囲には、好き、きらいで判断してよいことと、医者ぎらいの例えのように、理性によって正邪・善悪・得失などを決定しなければならない時があるわけです。
これを取り違えて、信仰も含めすべて好き、きらいの感情で判断することは、きわめて幼稚な行動であり、危険なことでもあります。

どうか好き、きらいにとらわれず、真実の仏法の正しい教えに耳を傾かたむけ、信仰があなたの人生にとって、とても大事なことであり、必要不可欠なことと知ってください。素直な心で仏の教えに触れるとき、あなたは人生でもっとも大切な宝を、今こそ、そのお手にしっかりと掴むことができるのです。また、今日一日を正しい信仰によって生活することにより、あたかも羅針盤を備えた船のように、幸福という目標に向かって正しく前進することになるのです。

私たちの人生は、いつ、どこで幕を閉るかわかりません。またご自分の真の幸福は、家族や周囲の人々へ、そして社会の幸せにも通じていくのです。