Q16 現実に他の宗教でも願いが叶ったが?


日蓮正宗以外の宗教を信じ、〝商売がうまくいった…〟とか、〝病気が直なおった…〟という人がいます。また日蓮正宗に入信しても、初めは周囲の反対や人間関係などで苦労する人もいるかもしれません。
しかし、正しい仏法とは、本物の本尊と修行を正しく教え、身心両面にわたって育成(いくせい)錬磨し、真の仏の道を私たちに成就(じょうじゅ)させることを目的としています。

したがって困った時だけ拝屋(おがみや)のような宗教にすがって一時しのぎができたとしても、それは本当の幸福につながるものではありません。

たとえば、勉強をしない子供に試験の時に答だけを教えて、よい点数をとらせたからといって、その子の学力が向上することにはならないと同じです。正しい仏道修行をすることによって、いかなる苦難や障害がおきてもそれを乗り越えていける人こそ真に幸せな人といえましょう。

反対に誤った宗教に縁することは、願いがかなったこと以上に命(いのち)が汚染され、これから先、大きな苦しみを生ずる業因(ごういん)となることをよくよく知るべきです。

悩み事やトラブルはひとそれぞれ、さまざまですが、その人の生い立ちや周囲の縁、年齢や心がけなどにより、解決のかたちもまた違っています。たとえば、種をまいても直ぐに花を開かせることはできませんが、時がくれば必ず開花するように、時(とき)と機(き)が熟(じゅく)さなければ解決しない場合もあるのです。

日蓮大聖人は、
「一分(いちぶん)のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等(ら)守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其(そ)の身も檀那(だんな)も安穏(あんのん)なるべからず」(諌暁八幡抄・御書1531頁)
と仰られ、一時的に祈りがかなったように見えても、邪宗教によるものは、正法を隠蔽(いんぺい)しようとする魔の所為(しょい=行おこない)にすぎないと説かれています。

そして大聖人は、正法による祈りについて、
 「大地はさゝばはづるゝとも、虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも、潮(しお)の満(み)ち干(ひ)ぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りの叶わぬ事はあるべからず」(祈祷抄・御書630頁)
とものべられ、人生根本の大願たる成仏も、強い信心によって必ずかなうと教示されています。

また日寛上人も、日蓮大聖人建立(こんりゅう)の大御本尊の利益について、
 「この本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則(すなわち)祈りとして叶わざる、罪つみとして滅せざるなく、福として来きたらざるなく、理として顕(あら)われざるなきなり」(観心本尊抄文段・文段集四四三)
と仰られています。

真実の祈りは、正法正義による仏道修行によってかなうのであり、低俗な宗教によるならば、かえって苦業(くごう)をますことを知るべきでありましょう。