Q51 大抵の人が血液型を知りたがるが、相性や性格を判断できる?


血液型に関する本を読んでみますと、統計的なことを主体としてのべられていますから当(とう)を得ているように思われるところもあります。たとえば血液型には本質的に、それぞれの特徴があり、その表れ方によって長所にもなり短所にもなることを示しています。
その意味からすれば、血液型による判断は迷信とか謗法というに当あたりませんが、血液型判断をもって人生の根本指針を決定したり、他人の性格や長短を頭から決め込んだりすることは賢明ではありません。

仏法では人生を、因縁(いんねん)すなわち過去の因と助縁(じょえん)そして未来の果という一連の流れの上でとらえています。
また、人間もそれぞれ因縁をもって生まれてきます。血液型にしても自(みずか)らの過去の業(ごう)を因(いん)とし、各々の両親という縁によって決まります。その性格も、血液型だけではなく、育った環境や教育、その人の生きてきた過程などのあらゆる縁によって違ってくるのです。同じ血液型でありながら正反対の性格の人があったりするのはこれらの縁や過去からの業などによるものといえましょう。

また、どのような血液型で生まれてきても、短所を長所に転換し、正しく向上するためにもっとも肝要なのは、生命の根源に作用するところの正しい信仰を持(たも)つことなのです。

日蓮大聖人は、
「只今(ただいま)も一念無明(いちねんむみょう)の迷心は磨かざる鏡なり。是れを磨かば必ず法性真如(ほっしょうしんにょ)の明鏡と成なるべし。深く信心を発(おこ)して、日夜朝暮(ちょうぼ)に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只(ただ)南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是(こ)れをみがくとは云ふなり](一生成仏抄・御書46頁)
と仰おおせです。

私たちがどのような血液型であれ、またどのような血液型の人とめぐりあったとしても、それによって性格や相性などが決定されるということではなく、正しい仏法によって錬磨し、修行していくことが豊かな人間性と正しい人間関係を築く道なのです。