Q46 八卦・星占など、本当に未来の幸不幸が分るの?


人は誰しも未来を知りたいと願い、幸福を得たいと望みますが、そのもっとも手近にある方法が占いであるといえましょう。

しかしながら占いで将来を正しく見極め、幸福な家庭を築き上げた人が世の中にどれほどいたでしょうか。努力なしに望みをかなえようとしたり、実力以上のものを無理に求めようとするところに、悲劇や破綻が起こるので、占いを信じ安易(あんい)に自分の人生を賭けてしまうことほど危険なことはありません。

初めは遊び程度のつもりが次第に夢中になり、ついには占いなしでは身動がとれなくなってしまったという例もあるように、占いを信じたことによってかえって苦悩を増ます場合が多く、むしろ占いには近づかない方が賢明であるとさえいえましょう。

占いは古くは易学(えきがく)による八卦見(はっけみ)が有名ですが、今日ではその他にも多くの種類があります。たとえば、現在人気のある星占いは、ロマンチックなイメージからか、とくに若い女性の間ではもてはやされているようですが、その主流であるホロスコープ占星術(せんせいじゅつ)の原点ともいうべき「テトラビブロス」の著者は、「占星術は天文学の応用で、天文学ほど確実性のあるものではけっしてない」 とのべています。

このように星占いは、学問的に確実性のない占星術を基礎としているのですから、きわめて不完全なものなのです。星占いが広まること自体、現代社会の刹那的(せつなてき)な風潮(ふうちょう)を反映しているように思われます。

星占いをはじめとする占いはすべて運命学が根底となって組み立てられているのですが、基本となる運命学そのものは、学問というにはほど遠く、人間の運命を本人の努力と関係なく、生まれつき定(さだ)まったものとみる非合理的な運命論から発しているのですから、自然科学が発達すればするほど、その欠陥(けっかん)が明白になってくるでしょう。

明るい未来や幸福な生活は、正しい信仰を根本に自分自身で築くものであり、それは御本尊を信ずる功徳によってはじめて実現できるのです。