5.宗教の五綱

宗祖日蓮大聖人の末法衆生救済のため立てられた宗旨が三大秘法であるが、もちろんこの宗旨は、宗祖の独断的見解で立てられたものではなく、仏教上の確固たる立脚点、基礎が存するのであります。それが、五綱教判と呼ばれる法門であります。

この五綱については、弘長二(1262)年、聖寿四十一歳の著述『教機時国抄』に、まずその名目大綱を示されています。これは、衆生を導くために仏教を弘める者は、この五面より考察して、確固たる道理に基づき、その教旨を決定すべきであるとして、その条件を示されたのであります。この五義を知って法を弘めることにより、国師になるべしとも説かれています。(三大秘法義より)

1.教

久遠以来、生物の興起、発展、滅亡等、循環の歴史において、法界の長く広い実相は到底、現在の限られた人知の及ばぬところでありましょう。生物の進化と発展を説く現代科学の立場は、その分野において一往、尊重すべき真理ではあります。

しかし、それは広大な宇宙の中の粟粒のような地球における、ごくわずかな時間の実験証明に過ぎず、無限の時間と空間には無数の国土世間があり、そこに無数の生物の存在と進化があることを否定すべきものは何もありません。

仏教は、このような無限の宇宙法界の理法があらゆる所に満し、それが渺(びょう)たる個別の存在にも具(そな)わるものであるとともに、その個々がまた、無限の理法に通ずる生命の意義価値を説くのであります。

有史以来の人文の発展は、その種々の過程における先覚者の教えによるものでありました。中国における三皇五帝、印度における古代宗教や哲学、西欧の神話や多神・一神の諸宗教はすべて、ある時代の限定された民族や社会を指導し、規律する教えであり、これらの指導を通じて人類の文化が発展してきました。その教えの高低は、それに含まれた真理の高低によりますが、文化の低い時代には、部分的・低次元的真理による指導をもって、民衆の秩序を開発保持できたのです。

しかるに、人知や文化がより高くなるとともに、さらに高次元の教えや真理の表現が必要となります。そして物質的知識が進む半面、道徳の退化とともに悪事遂行の邪智がますます盛んとなる時代は、最高の教法による全体的真理の活現と霊化こそ必要な時代であります。これは仏教のなかにおいても、極々の大乗と言うべき教法にして初めて現代の世界の危機を救済し、人類のより良い未来への指導が可能なのです。
大聖人は、この意味において、
 「教の浅深を知らざれば理の浅深を弁(わきま)ふものなし」(開目抄)
と教示されました。それで仏教内外の種々の教法の浅深と勝劣を、比較判定することが大切な所以です。仏教以外の教はひとまず置き、仏教においては教・律・論の三蔵が大乗・小乗にわたっています。このなかで、ただ法華経のみがすべての仏教を統摂し、また、その深い意味を開く大切な教えであるのです。

その法華経を仏意に従って掘り下げていくと、そこの末法を救う唯一の正しい宗旨が沈められていることを弁えねばならなりません。これがを知るべき所以であります。
御書のあらゆる所で、この教法の勝劣を意義の異なりを説かれていますが、体系的なものは『開目抄』の五重相対と『観心本尊抄』の五重三段であり、また開観両抄をはじめ各御書の趣旨として、三重秘伝あるいは第三の法門があります。このほか天台家の教判を下種本門に止揚して用いた四重興廃と五重円等もあるのです。
 ※五重相対について

2.機

仏法をもって衆生を導くためには、機を知らねばならない。機とは民衆の仏法に対する「発すべき」状態を言い、人により時によって様々である。
釈尊在世に舎利弗は、洗濯業の者に数息観を教え、鍛冶職の者に不浄観を教えたため、この者達は三月を経過しても悟りに至らず、仏教を謗(そし)るに至った。釈尊は、洗濯業者に不浄観を、鍛冶職に数息観を教えたので、直ちに道を悟ったと言われる。このように、機を正しく見るということは難しい。
しかし、大聖人は『教機時国抄』に、
「機を知らざる凡師は所化の弟子に一向に法華経を教ふべし」(御書270頁 )
と仰せられ、謗法の者と愚者に対しては、信謗共に下種となる故に、まず法華経を説くべきであると示された。ここに、仏法の深い意義が込められている。すなわち、最も勝れた法華経を基準として、そのところから機を判別する立場を示されるのである。
けだし、仏教に大小高低様々の教えがあるのは、衆生の機根に万端の差別があるから、法華経の一法より無量の教えが開かれたためである。この意義をさらにもう一歩進めれば、釈尊が様々の方便教を説かれたのち法華経を説いたのは、久遠の昔に法華経の下種があったからである。これらの衆生を本已有善の衆生と言い、過去に植えられた下種の教法に背いて長く迷界に堕落沈淪していたが、その種子は永遠に消滅しなかった。故に釈尊は、その種子を守り育てるため誘引の手段をもって、それぞれの機根に合う種々の方便教を説き、次第に法華経へ誘引して久遠の下種を覚知せしめられたのである。
さて、末法の衆生は皆、いまだかつて久遠の本法を下されたことがないため、本未有善の衆生と言う。この衆生は妙法蓮華経を下種され、それによってのみ成仏する機であり、釈尊の教法では役に立たないのである。ところが、前代の方便の仏法が形のみ残って障害となり、そのため衆生は、真実の法を聞いても信を生ずることが難しい。
この本已有善と本未有善を見極めることが、末法の機を正しく知ることである。
こうした末法の機は、法華経本因妙の教主日蓮大聖人の宗旨を聞く時、信謗の二機に分けられる。法を信受する者は順縁となり、法を信受しない者、または怨嫉(おんしつ)誹謗する者は逆縁となる。たとえ逆縁となっても、既に妙法を聞くことによって仏種はその生命の奥底深く植えつけられ、いつの時か、その仏種が開発されて成仏するのである。あたかも大地に倒れた者が、大地によって起きるのと同様である。末法における世界の民衆は、順逆の二縁があっても本因下種の妙法をもってのみ、現在および将来にわたって成仏する機根である。

3.時

釈尊は滅後の時代を、正法・像法・末法の三時に区切り、教法の時代的特性を予言されている。
正法とは如来の教法によって修行し証果を得る者のある期間、像法とは教法と修行があれど証果の者のない時期、末法とはただ教法のみあって行と証がない時代を言う。
正像二時の期間については経説により異なっているが、一般的には、正法千年、像法千年、末法万年とされる。また、大集経の「五五百歳」の説によれば、仏滅後五百年は解脱堅固(げだつけんご)、次の五百年は禅定(ぜんじょう)堅固、次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固、次の五百年は闘諍言訟(とうじょうごんしょう)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)としている。
この五箇を三時に合わせると、解脱堅固と禅定堅固の千年が、教・行・証を保つ正法の時であり、読誦多聞堅固と多造塔寺堅固は、教・行のみで証を欠く像法時であり、教のみが残って行・証を欠く白法隠没の時が末法である。
大聖人は、おおむねこれらの経釈にのっとられて、御自身の出世を末法の時代であると決せられた。当時、世界的な視野における民族興亡のすさまじい相や、日本社会にも末世を思わせる様々な現象が興起した。その災いの源は僧侶、王臣万民が、如来の本懐(ほんがい)たる真実の法華経の義を没し、時代と教法の関係を考えず、小法や権経に執われる謗法を犯しているからだと達観されたのである。
正しい仏教の大系から見ると、時代が下(くだ)るに従って人心の病いは軽より重となり、思想は歪み、行為は堕落する。故に、軽病の者には凡薬で治し、重病の者には大薬を与えなければならない。釈尊の本意も、また経々の付嘱も、このことを明らかに示している。 したがって、滅後五百年には、迦葉・阿難等が小乗教をもって時代を導き、後の五百年には竜樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)等が権大乗を広く弘め、像法千年には南岳(なんがく)・天台・妙楽・伝教等の聖人が現れて迹門中心の法華一経を弘め王臣万民を導かれた。そして末法万年には地涌の大菩薩が法華本門の要法を弘め、世界の民衆を救済すべき時に当たっている。経文にこの道理が明らかであり、大聖人がその地涌の上首上行菩薩であることは自他の証明により炳然(へいねん)としている。
まさしく末法万年は、大聖人所持の妙法蓮華経を宗旨に建立あそばされた三大秘法が弘まる時である。
大聖人は、
「日蓮が時に感じ此の法門広宣流布するなり(中略) 法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり」(三大秘法稟承事・御書1995頁)
とお示しである。
まさに末法は、大聖人の宗旨によって一切民衆が救われる時である。

4.国

仏法は一閻浮提(世界)に有縁であるが、特にその弘通に当たっては国を鑑(かんが)みることが必須の要件である。国には、それぞれ社会的・環境的な違いがあるが、要するに、その国民性や文化、思想等が、仏法の弘通に関係が深いかを判ずることが大切である。
大聖人は、末法の本仏としての悟りと、未曽有の大法を弘めるべき抱負の上から、この日本こそ、仏法のなかでも法華経、法華経のなかでも久遠元初の下種の南無妙法蓮華経に深い因縁がある国土と決せられた。
故に大聖人は、 「日本国は一向大乗の国、大乗の中の一乗の国なり」(十章抄・御書467頁)
と示され、また弥勒菩薩の『瑜伽(ゆが)論』を引いて、
「東方(とうほう)に小国有り。其の中に唯(ただ)大乗の種姓(しゅしょう)のみ有り」(曽谷入道殿許御書・同789頁)
との不思議な予言を挙げられている。また、僧肇(そうじょう)の『法華翻経後記』を引かれて、天竺の須梨耶蘇摩(しゅりやそま) 三蔵が法華経をもって羅什(らじゅう)に付し、
「此の経典、東北に縁有り。汝慎(つつし)んで伝弘(でんぐ)せよ」(同頁)
と言われたこと、また遵式(じゅんしき)の、
「始め西より伝ふ、猶(なお)月の生ずるが如(ごと)し。今復(また)東より返る、猶(なお)日の昇るが如し」(同頁)
との文をも引かれている。これらによって、日本が法華経に深縁の国であることが解る。この深い因縁について大聖人は、日本国こそ末法の長い闇を照らす仏法と聖人が出現する妙国土であることを示されたのである。
歴史的に見ても「日本国」の名称は、かの飛鳥(あすか)時代にあって深く仏法に帰依し、法華経を信仰された聖徳太子の国書における、
「日出づる処」(隋書倭国伝)
の思想に起因するものであり、さらには本門下種の本仏日蓮大聖人出現の本国土である故に、自然にこの名前が生じたと思われる。この意義は、
「本有(ほんぬ)の霊山(りょうぜん)とは此の娑婆世界なり。中にも日本国なり。法華経の本国土妙娑婆世界なり。本門寿量品の未曽有の大曼荼羅(まんだら)建立の在所なり」(御講聞書・御書1824頁)
の文に明らかであるが、要するに大聖人の本因妙の仏法は、日本国を大本尊のおわします根本の妙国土として世界に広宣流布し、あらゆる悪因縁、悪思想を浄化するのである。
日本国と下種の仏法とは、このような深い因縁に結ばれていることを知るのが真に国を知る所以(ゆえん)である。

5.教法流布の前後

仏法を弘めるための基礎的考察として、以上の教・機・時・国のほかに、教法流布の前後(先後)を考えなければならない。
仏法の流布には、おのずから教法の大小高低における順序次第があるが、これを考慮して正しく弘通すれば、仏法の功徳と利益は社会に及び、道義が確立し、民衆は繁栄するのである。
『弘決』の、
「教弥(いよいよ)実なれば位弥下く、教弥権なれば位弥高し」(摩訶止観会本中748頁)
との妙楽大師の釈の意義からも、また、この実例として釈尊滅後より、次第に時代を経るに従って民衆の機根が下劣になるほど流布の教法は小乗より権大乗へ、権大乗より法華経へと高くなっている。これが、自然の教法流布の次第である。
しかるに、先に権大乗が弘まっているのに小乗を、また実大乗が弘まっているのに小乗、権大乗を弘めてはならない。順序次第を無視して前代より劣る教法を弘めれば、その教法により民心に混乱を生じ、国家社会に災禍(さいか)を及ぼすのである。
すなわち、実大乗たる法華経が弘まっているのに、禅・念仏・真言・律等の権大乗の教を弘めることは、珠(たま)を捨てて石を取るようなものである。
大聖人は、
「迹門の大教起これば爾前(にぜん)の大教亡(ぼう)じ、本門の大教起これば迹門爾前亡じ、観心の大教起これば本迹爾前共に亡ず」(十法界事・御書176頁)
と仰せられている。
したがって、これらの義を弁(わきま)えずに権教権宗を弘める者は、教法流布の前後の次第があることを思わず、仏の教説の本意に背き、勝手に仏法を乱す者と言わねばならない。末法は、まさに天台・伝教による像法・迹門の弘通のあとを受けて、法華本門の要法が世界に弘通されるべき時代である。
以上の五義をもって釈尊の教法を検討すれば、末法万年の民衆救済の大仏法は、まさに大聖人の宗旨の三大秘法であることが明白である。

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