1.正依
1) 経
法華経八巻 無量義経一巻 勧普賢経一巻 以上十巻
法華経は釈尊出世の本懐のみならず、三世十法の諸仏が本懐とする経典である。
一代仏教における大小の各経典は、すべて法華経の方便として顕れたものであり、したがって、またそれが真実の法華経に帰するのである。これらの各経典に阿弥陀、大日、薬師等の諸仏の名も見えるが、すべてが法華経の久遠の仏の影である。このように、一切の経典を統一するのが法華経である。
つまり、釈尊が一代の化導の括りとして法華経を「在世の衆生のために説かれた」。この観点から見るのが文上の趣旨である。
次に文底の意味より言えば、釈尊は「再往、末法のために法華経を説かれた」のである。
すなわち、「末法にただ一人、この経文に説かれた大難を体験して、法を弘める上人が出現する」ことや、神力品の付属は、「妙法蓮華経が釈尊より上行菩薩に渡っていること」、あるいは「末法に日月の光明のような大人格者が出現される」こと、経文の本地の奥深いところに「三大秘法を秘めつつ説かれてあること」など、法華経は末法に出現する下種の妙法蓮華経を顕すための最要の経典である。
故に、本宗ではまず、法華経をもって正依(しょうえ)とする。
2) 御書
大聖人の御書は、五百余編のうち類型よりすれば、著作類、消息類、注記類(注法華経)、図録筆記類(一代五時鶏図、浄土九品の事等)、抄録類(秀句十勝抄等)、講記類(御義口伝)、御講聞書(おんこうききがき)等に大別できる。
これらの御書に大聖人は、おおむね佐渡以前においては天台の教義を面(おもて)とする権実の上から、また、佐渡以後は「釈尊と御自身との本迹・種脱の決判あそばされて、末法の宗旨を示された」。
山に入って山に迷う如く、ややもすると文の相に迷って宗旨の大綱を誤るものが多いが、本宗は日興上人の、
「御書を心胆に染め極理(ごくり)を師伝」(日興上人遺誡置文・御書一八八四頁)
の誡めもあって、初めより御書の奥低の主意が、化儀・化法にきちんと立てれられいるのである。
日興上人は「富士一跡門徒存知事」に、「立正安国論」「開目抄」「報恩抄」「撰時抄」「下山御消息」「観心本尊抄」「法華取要抄」「四信五品抄」「本尊問答抄」「唱法華題目抄」の十大部を掲げられてある。その他「三大秘法稟承事」等、すべての御書ならびに講記等を依用(えゆう)して、宗旨と宗義を顕すための指南とする。
3) 日興上人遺文
<相伝書>
身延に入山された大聖人は、末法万年の弘宣流布と令法久住(りょうぼうくじゅう)のため、内証の法体を唯授一人(ゆいじゅいちにん)の相伝をもって日興上人に付せられた。
それは、種脱の法体の区別と末法の宗旨の奥義に到達したのは直弟子中、だだ日興上人一人であったからである。
「本因妙抄」「百六箇抄」「上行所伝三大秘法口決」「御本尊七箇の相承」「寿量品文底大事」等の法門相伝書は、こうした意義によって大聖人が法義を口決され、日興上人が筆受されたのである。故に、正依の法華経や御書の一段と奥底に位置する、法義指南書と言うべきである。
<遺書消息等>
日興上人の主な教示文献としては、「日興跡条々事」「富士一跡門徒御存知事」「三時弘教次第」「五重円記」「日興遺誡置文(二十六箇条)」等、二十数書を数える。
なかんずく、「日興遺誡置文」は大聖人の正系の仏法として万代に尊守すべき法則の精神が示されている。また、三位日順の代作を日興上人が印加せられたものとして「五人所破抄」がある。これは富士の信条化義を正しく顕している。
その他、消息は九十数通に上るが、これらの文献すべてに、他の五老の門流と異なる日興上人の正義が明らかに示されている。
4) 日有上人・日寛上人遺文等
九世日有上人の遺文としては、「化儀抄(けぎしょう=百二十一箇条)」その他、聞書(ききがき)数編がある。
日有上人は、大聖人より日興上人へ相伝された血脈の仏法の在り方について、化儀という形に表していく方面より種々に教示されている。
大聖人の仏法は信心に一切の基本があることは当然であるが、その信心における師弟相対の在り方や行体に下種仏法の筋道があることを説かれたのである。また、この基本から諸々の方式または世間と仏法との立て分け、日常の心得等、仏道修行の要諦について僧俗の在り方を示されている。
したがって、この教示は末代の亀鏡として、今に宗徒の服膺(ふくよう)するところである。総本山の山法山規は、「日興遺誡置文(二十六箇条)」と、この「化儀抄(百二十一箇条)」によるものである。
二十六世日寛上人の著述には、「六巻抄」および主要御書の分段・解釈書等があり、共に大聖人の御書の根本の意をもって宗教・趣旨を立て、御書の文相やあらゆる脈絡起尽を聊(いささ)かもゆるがせにすることなく、正当に解釈されているところに偉大な特徴を持っている。
2.傍依
「摩訶止観」 (止観)十巻
「妙法蓮華経玄義」 (玄義)十巻
「妙法蓮華経文句」 (文句)十巻
「止観輔行伝弘決(ぶぎょうでんぐけつ)」 (弘決)十巻
「妙法蓮華経釈籤(しゃくせん)」 (釈籤)十巻
「妙法蓮華経文句記」 (文句記)十巻
上記、「止観」「玄義」「文句」の三大部は、像法時代出現の人師・天台大師の講述を章安が筆録したものである。
「止観」は、天台大師が己心中に行ずる所の法門を述べたもので、法華経の妙解によって妙行を立てられたのである。すなわち、一念三千十境十乗の勧法を示し、もって広汎(こうはん)かつ高遠な仏法を、手近な我が己心に悟るべき要蹊(ようけい)を適示している。
「玄義」とは、妙法蓮華経の五字の玄義を、釈名(しゃくみょう)・弁体(べんたい)・明宗(みょうしゅう)・論用(ろんゆう)・判教(はんぎょう)の五重に約して、まず七番共に解し、次に五重格別に釈している。いわゆる大小、権実、本迹の一代教法の浅深を述べ、三種の教相を示して、法華経本迹の十重の妙義を中心とする妙法五字の幽玄な義理を広説している。
「文句」は、法華経の文々句々について、因縁(過去のいろいろな事実や物語から現在の意味を示すもの)、約教(蔵・通・別・円の四教、あるいは五味の内容に当てはめて釈すもの)、本迹(本地と垂迹の意義より説くもの)、勧心(法華経の文を直ちに自己の心の上に勧ずる意義より説くもの)の四種釈義をもって縦横に解釈し、仏教上の深い造詣と円融三蹄の妙義を解文上に発揮している。
天台六祖の妙楽大師は、この鼻祖(びそ)の講述した三大部について、その趣旨をよくつかみ、その上から難解な文を巧みに解説敷衍(ふえん)している。それが妙楽の三大部といわれる「弘決」「釈籤」「文句記」である。
以上天台・妙楽両大師は、前代における竜樹・天親等の仏教学をさらに進め、釈尊一代の仏教を法華経に総合帰一して正しくその趣意を示し、もって釈尊の化導のすべてを解明し尽くされたのである。
ゆえに、釈尊仏教の説明と法華経の解釈は天台に極まると言うべく、各宗の祖師あるいは仏教学者の比肩(ひけん)するところではない。
ここに天台・妙楽の三大部が釈尊の教えを述べつくすとともに、末法に広まるべき法華経寿量品の文底本因妙の大聖人の仏法についても内鑑(ないがん)の上から含意し、また外郭を巧みに構築するところがあるので、末法の正義を建立し説明するための傍依とするのである。