節分会

節分の起源

節分とは「季節の分かれ目」の意味で、古来、一年を二十四に分けた二十四節気がありますが、そのなかでも大きな四つの節目(四季)の初めの日である立春・立夏・立秋・立冬の前日を指しています。したがって、節分は年に四回ありますが、近世以降、一般的には立春の前日のみを指すようになりました。
立春は、旧暦では二十四節気が一巡して新年を迎える正月節の日に当たり、その前日の節分は年越しの日であったことから、この日には様々な行事が行われ、室町時代には宮中の行事である「追儺(ついな)」と結びついて、豆まきが行われるようになりました。
追儺は「儺遣(なや)らい」「鬼遣らい」等とも言い、中国唐時代の宮廷行事に由来しています。
これは、大晦日の夜に悪鬼を追い 払い、疫病等の災難を追放して幸福を迎えようとする行事で、日本では文武天皇の慶雲三(七〇六)年、諸国に悪病が流行して多くの死者が出 た時に、厄除けのために行われたと『続日本紀』に記されており、以後、平安時代には宮中の大晦日の行事となりました。
この行事が旧暦の年越しである節分と結びつき、現在のような節分の行事となったのです。
節分の「豆まき」について、豆は「魔目」「魔滅」に通じ、豆を投げつけて魔を滅するという意味と、豆は「達者(まめ)」「忠実(め)」に通ずるとも言われます。

日蓮正宗の節分会

総本山では節分の日に、御法主上人大導師のもと、御影堂において節分会が奉修され、読経・唱題ののち、御法主上人が御宝前にお供えされた炒り豆を「福は内」のお声とともにまかれます。続いて、御助番の僧侶二名が御影堂内の内陣・外陣に豆をまきます。法要のあとには、御影堂前で参詣者に炒り豆・福茶・甘酒が振る舞われます。
これにならって、全国の末寺で節分会が率修されます。
節分会における豆まきでは「鬼は外」とは言いません。
鬼とは、一般的には、人間に似た恐ろしい姿をして、頭に角を生やし、口には鋭い牙、手には金棒を持ち、荒々しい気性と怪力によって人に危害を加える怪物とされていますが、もともとは「隠(おん)」の読みが変化したという説もあり、隠れて人に見えないもの、祟(たた)りを招く無形の幽魂などとも考えられていました。
仏教においては、法華経勧持品第十三に、
「悪鬼入其身(悪鬼其の身に入る)」(法華経337頁)
とあるように、鬼は人の心に入り込み、その人を狂わせ、また周りの人をも不幸にするものとされています。
しかし、妙法の御本尊がまします本宗の寺院や信徒宅、また御本尊を受持信仰する人の心には、悪鬼が住みつくことはありません。
また、鬼子母神や十羅刹女など、法華経の会座に列なった鬼は、法華経の行者を守護すると誓った善鬼なのですから、豆を投げて追い払う必要はないのです。
私達は寺院の節分会に参詣し、自らの信心を磨き、自行化他の修行に励んでいくことを御本尊にお誓いしましょう。

土浦市の亀城公園に隣接した日蓮正宗のお寺です。お気軽にお訪ねください。