立宗会(宗旨建立法要)


立宗会(宗旨建立法要)は、末法の御本仏日蓮大聖人が南無妙法蓮華経の宗旨を建立し、立宗を宣言あそばされた建長五(1253)年四月十八日を記念して御報恩申し上げる法要です。

立宗の御決意
大聖人は十六歳の時、安房の国(千葉県)清澄寺において道善房を師として出家得度され、京都や奈良等に十数年にわたって遊学されました。
生まれながらにして深い法華経の境地に立たれていた大聖人は、遊学において当時の世相を見通され、人々の不幸の原因は低劣な邪法を信じていることにあり、末法の一切衆生を救う道は、法華経寿量品の文底に秘し沈められた南無妙法蓮華経を信仰する以外にない、との裏づけを得られました。
しかし、ひとたびこれを言い出せば、身命にまで及ぶ数々の大難が襲いかかることが法華経に予言されています。それをご承知の上で大聖人は、いかなる三障四魔が競い起ころうとも、末法万年の人々を塗炭の苦しみから救うことの大慈悲をもって、立宗を決意されました。

宗旨建立
大聖人の宗旨建立は、三月と四月の両度にわたり拝されます。
三月二十八日、御本仏大聖人が悟られ、ご胸中に秘められた題目を、末法において初めて法界に向かい、声高らかに唱えられたのです。そして破邪を表として念仏と禅の破折を、順縁の少々の人々に説かれました。
さらに四月二十八日には、一切衆生成仏のために題目を開宣するに際し、妙法の宗旨を建立されたのです。
この宗旨の建立に当たって大聖人は一人、清澄山頂の蒿(かさ)ヶ森に立ち、遠く太平洋の彼方に昇る日の出を待たれました。やがて、水平線上に旭日が現れると、起立合唱されていた大聖人は「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経」と、末法万年の闇を照らす下種の題目を、厳(おごそ)かに、力強く朗々と唱え出されました。
この題目は、久遠元初本因下種(くおんがんじょほんにんげしゅ)の大法であり、一切の生命が妙法を信ずることによって直(ただ)ちに成仏するという未曾有の教えです。
インド応誕(おうたん)の釈尊はもちろん、中国最高の碩徳と言われる天台大師、大学匠の妙楽大師、そして日本の天台宗の開祖・伝教大師の教えは法華経を中心としていますが、これらは既に仏種を植えられた衆生を救うための教法でした。
大聖人によって初めて、末法のあらゆるものを根底から救うという、仏教史上、いまだに誰人も説き出されなかった七文字の題目が唱え出(い)だされたのです。
凡智では、単なる大聖人の肉声であったかも知れません。しかし真実には、一切の森羅万象の仏性を歓喜勇躍せしめる妙法の大音声であったのです。


初転法輪
四月二十八日午の刻(正午)、清澄寺諸仏坊の持仏堂には、遊学を終えて帰山した大聖人の説法を聞こうと、多くの僧俗が集まっていました。
そこで大聖人は初めて本格的な妙法弘通の説法をなされました。これを初転法輪と言います。
大聖人の堂々たる気迫、さわやかで淀みない弁舌、豊かな知識に、いつしか聴衆の心は惹きつけられていました。
しかし、説法が進むにつれ、その感嘆は驚きと憎しみに変わっていきました。
末法という時代の説明から、釈尊の仏法が既に力を失ったこと、既存の仏教各宗では成仏できないことを理路整然と述べ、特に禅は天魔の邪説、念仏は無間地獄の悪法であることを強調されました。また、これらの謗法の諸宗を信仰することによって、下克上の気風が増長し、社会秩序の混乱と人倫の退廃、天変地无を招いていることを訴えられました。
そして、末法の衆生を救うことができる教えは南無妙法蓮華経であり、早く禅、念仏等の邪法を捨てて、この妙法を信ずべきであると勧められたのです。
このような説法に対し、謗法の執着が強い地頭の東条景信は、怒りと憎しみを懐いて怨嫉誹謗(おんしつひぼう)の徒となりました。
この時より、数々の大難をものともされず、末法の法華経の行者として妙法を弘通するという大聖人の御化導が開始されたのです。

立宗会の意義
以上のように、大聖人の宗旨建立は、法華経の行者としての御化導の端諸であり、御本仏が末法において妙法を弘通される初めであるという深義が存します。
この上から総本山においては、御法主上人の大導師のもと御影堂において、三月二十八日に立宗内証宣示報恩会を、四月二十八日に立宗会を奉修し、日蓮大聖人の大慈大悲に対し奉り、御報恩謝徳申し上げています。
また、全国の各寺院においても、四月二十八日に立宗会を奉修しています。私達は、立宗会に参詣し、不退転の弘通を祈願された大聖人の大慈悲を拝し奉り、いよいよ強盛な信心を発(おこ)し、折伏弘通の決意を新にいたしましょう。

土浦市の亀城公園に隣接した日蓮正宗のお寺です。お気軽にお訪ねください。