宗祖御誕生会(日蓮大聖人御誕生法要)


宗祖御誕生会は、御本仏日蓮大聖人の末法御出現をお祝い申し上げ、御報恩のために、御誕生の日である二月十六日に奉修される法要です。

末法は白法隠没の時代

仏法においては、釈尊滅後の一千年を正法時代、次の一千年を像法時代、そのあとを末法時代とされています。
大集(だいしっきょう)経には、正像二千年間は釈尊の教えに利益があるものの、時を経るにつれてその教えの力は薄れ、末法時代に入ると、人心は荒廃して争いが盛んとなり(闘諍言訟=とうじょうごんじょう)濁悪の時代となって、釈尊の仏法では人々を救うことができなくなる(白法隠没)と説かれています。 法華経の従地涌出品第十五において、大地より涌出した上行等の四菩薩は、如来神力品第二十一に、
「日月の光明の 能(よ)く諸の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く 斯(こ)の人世間に行じて 能く衆生 の開を減す」(法華経五一六頁)
と説かれているように、あたかも太陽の光明が闇を照らす如く、末法時代に再び出 現して衆生を不幸から救済すると明かされています。
日本では、平安末期から鎌倉時代にかけて、近親同士が争った保元・平治の乱, また承久三(1221)年には前代未聞の下克上である承久の乱が起こり、血で血 を洗う戦乱の世となりました。さらに、打ち続く天変地夭等によって多くの死者を出し、疫病が流行し、強盗が横行するなど、人々は苦しみの底であえいでいたのです。
このように、当時の世相は釈尊の予言の通り、末法濁悪の様相となりました。

一切衆生を救済する御本仏の御誕生

このような末法時代の一切衆生を救済するため、日本に誕生されたお方こそ、御本仏・日蓮大聖人なのです。
大聖人は、承久の乱の翌年である貞応元(1222)年二月十六日、三国大夫 (貫名次郎)重忠を父とし、梅菊を母として、安房国長狭郡東条郷片海(千葉県鴨川市)に誕生され、幼名を善日麿と称されました。
大聖人は、御自身の出自について、
「栴陀羅が子なり」(佐渡御勘気抄・御書四八二頁)
「海人が子なり」(本尊問答抄・同一二七九頁)
と仰せられています。
栴陀羅とは梵語でチャンダーラと言い、狩猟・屠殺等を職業とする者を意味し、 最も低い身分とされていました。このような当時の最下層の子として、大聖人は誕生されたのです。
これは、御本仏が末法濁悪の人々を救済される示同凡夫(じどうぼんぶ)としてのお姿を顕されたもので、同時に、末法の法華経の行者が様々な迫害に遭うの法華経の予言を実証するためでした。
また、釈尊の入滅が二月十五日であるのに対し、大聖人が二月十六日に誕生されたことは、釈尊の熟脱の仏法が没して、日本に末法下種の御本仏が出現されるという因縁を示す、不思議な符合であると言えます。
二月十六日は、大聖人が安房国に三国重忠を父とし、梅菊を母として誕生された日ですが、真実には、久遠元初の御本仏が末法に出現された、まことに意義深い日なのです。

御誕生時の瑞相

第二祖日興上人は『産湯相承事』に、大聖人から承った御誕生時の不思議な瑞相(ずいそう)について記されています。
大聖人の母君は、ある夜、比叡山に腰をかけ、琵琶湖の水で手を洗い、そして富士山から昇った日輪を胸に懐くという壮大な夢を見たあとに、懐妊したことが判りました。このことを父君に話すと、重忠もまた「虚空蔵菩薩がかわいらしい子供を肩に乗せて現れ、『この子は上行菩薩であり、一切衆生を救う大導師となる力である。今、お前に授けよう』と言われた」という夢を見ていたのです。
また、御誕生の日の母君の夢は、富士山の頂に登って十方を見渡したとこ ろ、梵天・帝釈等の諸天が来下して「久遠の御本仏の垂迹、上行菩薩が凡夫のお姿をもって誕生されます」と述べ、青蓮華から涌き出した清水を産湯に使い、余った清水を四天下へ灌(そそ)ぐと、その潤いを受けたすべてのものが金色に輝 き、草木が一斉に花咲き菓(このみ)がなった、というものでした。この夢を御覧になったの ちに、大聖人が出生されたのです。
また伝説によれば、御誕生の数日前から海上に青蓮華が生じて花を咲かせたと言われ、今も御誕生地付近の磯には「蓮華ヶ淵」の名称を止めています。
さらに御誕生の日には、砂浜から清水が涌き出て、庭の池に蓮華が咲き、海中から大鯛が跳ねて御誕生を祝ったと伝えられています。現在も付近の海城である「鯛の浦」には、大きな鯛が数多く生息しています。
これらの霊夢や奇瑞は、末法の一切衆生を救済される御本仏の御出現にふさわしい、まことに荘厳な瑞相であると言えましょう。

宗祖御誕生会とお塔開き

総本山では毎年二月十六日、御法主上人の大導師のもと、御影堂において宗祖御誕生会が奉修されています。これにならい、各末寺においても同日、御誕生会を奉修しています。
また本山では、御誕生会に引き続き、五重塔の扉を開いて読経・唱題する「お塔開き」が修されています。
総本山の五重塔は,法華経見宝塔品第十一に説かれる多宝仏の大宝塔涌現になぞらえ、日蓮大聖人の末法一切衆生救済の仏法の精神に基づいて建立されたものです。
総本山の建物は南向きに建てられていますが、五重塔だけは西向きに建てられてい ます。これは『諫暁八幡抄』に、
「日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり(中略)日は光明月に勝れり、五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり」(御書一五四三頁)
との仰せによるものです。
つまり、釈尊の仏法がインドから中国を歴て日本に渡来したのに対し、求法においては、太陽が東から昇って全世界に光明を及ぼすように、大聖人の下種仏法が西に向かって宣流布し、一切衆生を済する意義を表しています。
したがって、御誕生会に続いて修されるお塔開きは、御本仏大聖人の末法御出現と、その下種仏法が広宣流布する尊い意義を表す儀式なのです。

土浦市の亀城公園に隣接した日蓮正宗のお寺です。お気軽にお訪ねください。