宗祖御大会(お会式)


宗祖御大会(ごたいえ=お会式)とは、宗祖日蓮大聖人が弘安五(1282)年十月十三日に御入滅あそばされ、滅不滅のお姿を示されたことをお祝いする儀式です。本宗においては、御霊宝虫払大法会と共に、二大法要の一つとなっています。
お会式について、世間では大聖人の御命日の法要ぐらいに考えています。しかし大聖人は、末法万年の闇を照らし、濁悪の衆生を救済したまう御本仏にましますのであり、その御入滅は不滅の滅にして、三世常住のお姿を示されたものと拝するのです。したがって、お会式は故人に対する追善供養の法事などではなく、日蓮正宗僧俗一同が御本仏の三世常住をお祝いし、御報恩申し上げる儀式なのです。
会式とは、合同で説法や仏事を営む法会の儀式の意で、本宗においては大聖人の御入滅の日に奉修する最も重要な法要を「お会式」と称し、総本山におけるお会式は古来「御大会」と称されています。

御入滅時の瑞相

大聖人は弘安五年十月十三日、武蔵国池上(東京大田区)の右衛門大夫宗仲の館において、大勢の弟子や信徒が唱題申し上げるなか、安祥として入滅されました。
第二祖日興上人の『宗祖御遷化記録』等によると、御入滅の時、大地が震動し、初冬にもかかわらず庭の桜の花が咲きほこったと伝えられています。
この不思議な姿は、御本仏大聖人の入滅を宇宙法界の生命が惜しむと同時に、御本仏の入滅には滅に非(あら)ざる滅であり、滅に即して常住の妙相を示すという甚靱の意深を持っています。

大聖人の御魂魄は厳然と伝持

法華経如来寿量品第十六の長行には、
 「若し如来、常に在って滅せずと見ば、便(すなわ)ち憍姿(きょうし)を起こして、厭怠(えんだい)を懐き、難遭(なんぞう)の想、恭敬(くぎょう)の心を生ずること能(あた)わじ、(中略)是(こ)の故に如来、実に滅せずと雖(いえど)も、而(しか)も滅度すと言う」
【通訳】もし、仏が常にいて滅することがないと知ると、衆生は憍(おご)り、怠惰の心を起こし、仏に遭(あ)うことが難しいと考えず、また敬い奉る心も起こすことがない。この故に、仏は実際には滅することがなくても、滅度の相を示すのである。
と説かれています。
すなわち、仏が常に住されていると、衆生はいつでも仏にお会いできるという安心感から、仏道修行を怠(おこた)りがちになります。そこで、仏は方便として涅槃の相を示し、衆生が「仏に値い難い」と思って仏道修行に励むように導かれるのです。
大聖人は御入滅の相を示されましたが、『経王殿御返事』に、
 「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきで候ぞ」(御書685頁)
と御教示のように、大聖人の御魂魄は大曼荼羅御本尊、とりわけ出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊とましまして、末法の一切衆生を永遠に救済されるのです。
大御本尊をはじめとする大聖人の仏法の一切は、唯授一人の血脈をもって大に祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人と御歴代上人に相承(そうじょう)され、現在、御当代上人が厳然と伝持されるところです。

立正安国の精神は富士にあり

大聖人の御入滅後、本弟子六人のなかで、大聖人を末法の御本仏と拝し、正しく法灯を継承されたのは、第二祖日興上人ただお一人です。
したがって、日興上人の門家である日蓮正宗のみが、正しい信条を法義に基づいたお会式の行事を奉修してきたのです。
そのことを示す事例の一つが、お会式における『立正安国論』ならびに申状奉読の儀式です。
大聖人の御化道の目的は、南無妙法蓮華経の正法を立てて末法の衆生を救済し、安穏な国家社会を実現することにあります。この精神を持って、国の権力者に対し、邪宗を対治し正法に帰依せよと命をかけて訴えられたのが『立証安国論』です。日興上人、日目上人をはじめ、代々の御法主上人も、この御精神を継承され、たびたび申し状を奏呈して国主を勧曉(かんぎょう)されました。
これによって、本宗のお会式では、御本尊の御宝前において『立正安国論』ならびに申状を奉読し、大聖人の死身弘法の御精神を現代に示して、僧俗一同が広宣流布の実現をお誓い申し上げるのです。
この儀式は他の門下では見られないものであり、日蓮正宗のみ、大聖人の立正安国の御精神が厳として伝わることを示す儀式であると言えます。

総本山の御大会

お会式は、総本山をはじめ、各末寺において奉修されます。共にこの日は、桜の造花等をもって御宝前を荘厳します。
現在、総本山の御大会は十一月二十日・二十一日の両日にわたって行われます。これは、旧暦の弘安五年の十月十三日を新暦に換算すると、十一月の二十一日に当たることによっています。
二十日の午後から、奉安堂において本門の戒壇の御開扉があり、その後、夜に入って「お練り」の儀式が行われます。お練りとは、行列を作っておもむろに歩むことで、末法の御本仏日蓮大聖人の御出現を示すものです。
この行列が、御影堂の正面参道に至るといったん停止し、七・五・三の喚鍾(かんしょう)の音に合わせて、六人の助番僧が御影堂から一人ずつ、七人・五人・三人の順に御法主上人のもとへ一礼に走ります。これは、御本仏大聖人に、御説法のために御影堂に入られるよう、弟子たちが身をもってお願いする意を表しています。
それが終わると行列は、御影堂の西を回り、御法主上人は裏向拝(うらごはい)から入道されます。裏向拝から入られるのは、御影堂には御本仏大聖人が常住したまうことを表し、参詣者は客分として表向拝から入ります。入堂後、御法主上人は高座下手の正面に設けられた上行座に北面して着座されます。これは、法華経従地涌出品第十五で忽然として地から涌出する上行菩薩の姿を表しています。
次いで、会行事が立って寿量品の三誡三請・重誡重請の法式をかたどり、登高座を願い奉ります。そこで御法主上人が登高座され、読経・唱題ののち、寿量品の文底本因下種の南無妙法蓮華経を説き出される儀式なのです。
御説法が終わって小憩ののち、「三々九度儀式」が執行されます。三々九度とは日本古来の祝儀を表す盃の方式で、大聖人と本六僧が共に鮭を酌み交わし師弟の常住をお祝いするものです。これで一日目の行事は終わります。
二日目は、午前二時半から客殿において勤行衆会(丑寅勤行)、次に午前九時から御影堂において「献膳・読経・申状の義」が奉修され、御法主上人および本六僧によって『立正安国論』ならびに御歴代上人の申状が奉読されます。すなわち、大聖人の下種仏法が折伏の教えであることを示し、御宝前に忍難弘通と広宣流布の成就をお誓いするのです。
最後にお花くずしの読経・唱題と布教講演会が行われ、お大会は終了となります。
末寺におけるお会式は、総本山のお大会にならって、献膳・読経・唱題と如法に修され、住職によって『立正安国論』、布教区内僧侶によって申状が奉読され、法要ののちに布教講演が行われます。

お会式の意義は折伏誓願にあり

本宗では、古来「お会式には万難を排して参詣しなければならない」と言われてきました。
それは、お会式の意義が、大聖人の三世常住を寿(ことほ)ぎ奉ると共に、大聖人の大願である広宣流布の成就をお誓することにあるからです。
大聖人は『持妙法華問答抄』に、
 「須らく心を一にして、南無妙法蓮華経と我も唱え、他にも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(御書 300頁)
【通訳】心を一つにして南無妙法蓮華経と自分も唱え、他の人々にも唱えるように勧めていくことこそ、私達の今生人界における思い出となるのである。
と教示されています。
私達は、この教えを胸にとどめ、お会式の意義を正しく理解し、寺院のお会式には必ず家族そろって参詣して、共々に折伏の実践をお誓いしましょう。

土浦市の亀城公園に隣接した日蓮正宗のお寺です。お気軽にお訪ねください。