丑寅勤行

丑寅(うしとら)勤行は、御法主上人が毎朝、総本山客殿で、丑寅の時刻(午前二時半から四時)に行われる五座の勤行であり、本宗における非常に重要な儀式です。
第二祖日興上人の、
「大石寺は御堂(みどう)と云ひ墓所(むしょ)と云ひ日目之(これ)を管領(かんりょう)し、修理を加へ勤行を致(いた)して広宣流布を待つべきなり」(日興跡条々事・御書一八八三)
との御遺命(ゆいめい)を守り、七百年来、一日として欠かすことなく広宣流布の御祈念がなされているのです。

丑寅の時の意義

この丑寅勤行のいわれについて、第二十六世日寛上人は、
「問う、古(いにしえ)より今に至るまで毎朝の行事、丑寅の刻(きざ)みにこれを勤(つと)む、其(そ)の謂(いわ)れ如何(いかん)。答う、丑(うし)の終わり寅(とら)の始めは即ち是れ陰陽生死(しょうじ)の中間(ちゅうげん)にして、三世諸仏成道(じょうどう)の時なり。是の故に世尊は明星(みょうじょう)の出づる時豁然(かつねん)として大悟し、吾(わ)が祖は子丑(ねうし)に頚(くび)を刎(は)ねられ、魂(たましい)佐渡に到る云云。 当山の行事亦(また)復(また)斯(か)くの若(ごと)し。朝な朝な刹那(せつな)成道・半偈(はんげ)成道を唱うるなり」(当流行事抄・六巻抄二〇一)
【通釈】お伺いする。昔から現在に至るまで、総本山の毎朝の勤行は、丑寅の時刻に勤められている。その理由とは何か。お答えする。 丑の刻の終わり、寅の刻の始めは陰陽生死の中間であり、三世の諸仏が成道される時刻である。この故に釈尊は明星が出る時に豁然として大悟され、宗祖日蓮大聖人は子丑の時刻に頚を刎ねられ、魂魄が佐渡に至ったと仰せられている。 当山の丑寅勤行もこれと同じである。毎朝、刹那・半偈の成道を唱えているのである。
と明示されています。
丑寅の時とは、陰の終わり陽の始め、すなわち陰陽の中間であり、また、死の終 わり生の始め、すなわち生死の中間です。陰とは暗であり、迷いです。また、腸とは明であり、悟りです。
したがって、丑寅の時は迷いの陰から悟りの陽に移る時刻であり、しかも、この迷暗・悟明(ごみょう)の去来(きょらい)は同時です。
この時はまた、日蓮大聖人が『上野殿御返事』に、
「御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし。三世の諸仏の成道は、ねうしのをはりとらのきざみの成道なり」(御書一三六一一)
と仰せのように、三世の諸仏が成道される時刻なのです。
実際、釈尊は三十歳の十二月八日、菩提樹(ぼだいじゅ)の下で明星(みょうじょう)の出る時に豁然(かつねん)として悟りを開かれました。この明星の出る時というのも、やはり寅の時です。
大聖人は『開目抄(かいもくしょう)』に、
「日蓮といゐし者は、去年(こぞ)(文永八年) 九月十二日子丑の時に頚(くび)はねられぬ。
此(これ)は魂魄(こんぱく)佐土の国にいたる」(同五六三-)
と仰せのように、竜口(たつのくち)法難において、名字凡夫の大聖人の御身の当体が、そのまま久遠元初(くおんがんじょ)の自受用身(じじゅゆうしん)となられ、末法下種の本仏と発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)されたのです。この頚の座の子丑の時は名字(みょうじ)凡身の大聖人の死の終わりなので、頚を刎(は)ねられたと仰せられ、寅の時は久遠元初の自受用身の生の始めなので、魂魄と仰せなのです。
このように、丑寅の時刻は仏が悟りを開く時で、仏法上、まことに深い意義を持つ時刻なのです。

丑寅の方角の意義

また丑寅とは、方角の上からは北東に当たり、この方角を鬼門(きもん)とも言います。
『上野殿御返事』に、
「仏法の住処は鬼門の方に三国ともにたつなり。此等(これら)は相承の法門なるべし」 (御書一三六一)
と仰せられているように、インド・中国・日本の三国ともに、すべて首府(しゅふ)の丑寅の方角、すなわち鬼門に仏法が立てられています。日寛上人も、
「鬼門は即ち丑寅の方なり。 霊鷲山(りょうじゅせん)は王舎城(おうしゃじょう)の鬼門なり、天台山は漢陽宮(かんようきゅう)の鬼門なり、比叡(ひえい)山は平安城の鬼門なり。類聚(るいじゅ)第一巻の如(ごと)し。 富士山も亦(また)王城の鬼門なり (中略) 当山の勤行は、往古より今に至るまで正(まさ)しく是(こ)れ丑寅の時なり。之を思え、之を思え」(開目抄文段・御書文段一六七)
【通釈】鬼門とは丑寅の方角(北東) である。インドの霊鷲山は王舎城の鬼門、中国の天台山は漢陽宮の鬼門、また日本の比叡山も平安城の鬼門というように、それぞれが必ず 丑寅の方角に位置しているのである。この富士山も王城の鬼門である。また、総本山の 勤行は古来、丑寅の時刻に勤められている。このことを深く考えなさい。
と、丑寅の意義の深さを述べられています。
鬼門の鬼とは、帰(き)の意味を持ち、鬼門は仏法帰入(きにゅう)を表します。総本山大石寺の大坊入口に建てられている鬼門(おにもん)にもまた、同様の意味があります。

丑寅勤行の意義

総本山の毎朝の勤行が、鎌倉時代の古(いにし)えより今日に至るまで、丑寅の時に行われてきたのは、これらの深い意義によっています。
丑寅は三世諸仏成道の時ですから、丑寅勤行も毎朝毎朝、刹那半偈(せつなはんげ)の成道を唱えるのです。信心強盛(ごうじょう)に、一切の余念を捨てて南無妙法蓮華経と唱え奉り、凡身即仏身と成る妙行です。
その丑寅勤行を、総本山大石寺においては第二祖日興上人以来、七百年もの間、一日として欠かすことなく行われ、一切衆生大聖人の仏法に帰入させ、すべての苦悩から救いきるよう、一閻浮提(いちえんぶだい)広宣流布の大願成就(じょうじゅ)を、歴代の御法主上人が祈念してこられたのです。
私達は、この丑寅勤行の深い意義を理解するとともに、真心を込めて日々の朝夕の勤行に励み、末法唯一の正法たる大聖人の仏法を広宣流布(るふ)するため、ますます精進してまいりましょう。

土浦市の亀城公園に隣接した日蓮正宗のお寺です。お気軽にお訪ねください。